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●落選につぐ落選だった男だが…
前回のvol.19で登場したK君。2005年のK市の市会議員補欠選挙で、自民党公認を得ながら、ボクのクライアントの無所属候補に敗れ次点。その2年後の統一地方選で、再び立候補するも、ボクのクライアントの女性候補は、 再選され、2期目となったが…K君はこの時、最下位で落選した。まあ… 選挙の普通の「常識」では、もう3度目は無い。選挙は諦めたほうがいい…というレベル。

ただ2度、敵として戦ったとは言え…その前の総選挙(勝利の記録:vol.9)では、ボクのクライアントであった自民党公募候補の運動員として、非常に役にたった男であったことは間違いない。その2度目の落選後まもなく、その(勝利の記録:VOL.9)の総選挙で、当時ボクが事務局長として選挙に送り込んだ、ボクの長年の同志から「ヤマグチさん!K君のこれからの就職先を世話してあげて下さい!彼は、二度も落選して途方に暮れてるはずです!」と…言われ、ボクもまあ、彼の「人生」に、多少なりとも影響を与えたのは間違いの無い事実なので…
「そうやな…チト考えるわ!どこかイイ就職先を探しとくわ…」と応えた。

それから数日経ち、あと一週間で統一地方選の後半が始まるという時に、ふと「そうや!彼を使おう!」と頭によぎった。ちょうど、2ヶ月ほど前から契約しスタートしていた、大阪の衛星都市の市会議員選挙のクライアントの選挙事務所であった。「そうや!とりあえず、あの選挙事務所を手伝ってもらおう!」そのクライアントの事務所は、まあ、ボクから見たらほとんど「素人集団」彼は役にたつ!と確信し…彼に連絡をした。
彼は快諾してくれ、告示前日から入ってくれた。この選挙のことは、『勝利の記録VOL.4:エッ??73歳??!!』に詳細がある。
この時の、彼の言葉はよく記憶に残っている。「あのお爺さん!普通なら誰が見ても、当選するとは思えません!もしまた、このお爺さんを当選させたら、ホンマ…また…ヤマグチさんの伝説が残ります!ヤマグチさん!ボクは、そのヤマグチマジックをまた、真近で見れるのが…楽しみです!」と彼が言った。勿論、「勝利の記録:vol4」ですから…この選挙も勝ったわけですがね(笑)

●企業へ就職の世話をする…
その大阪の衛星都市の市会議員選挙後まもなく、ボクは彼を、ある会社にお世話しました。その会社は、ボクが代議士秘書時代からのお付き合いで、ボクがかれこれ30数年はお付き合いをしている会社でした。
社長は、やはり「ヤマグチさんの紹介なら…断れません!使わせてもらいます!」
と、やはりヒトツ返事で快諾して下さいました。ボクはこの時、「社長!ひょっとしたらまた、いずれ選挙に出たい!と言い出すかもしれません!その時は、また…相談にのってやってください!」との…釘はさしておきました。
また、彼にも「もしも、将来またその気になって、選挙に出たくなったときは、真っ先に相談に来い!その出たい選挙区で、契約してるクライアントがいなかったら、
ボクは君をやってあげるから!」と…伝えました。

結局彼は、この会社に今年(2013年)の春まで、約5年程勤務しました。結構、水があってたみたいで(苦笑)居心地は良かったようです。時々、近況報告に来たりして…ドンドン太って肥えてきてるのがわかりました。よほど…のさばってたのかもです(苦笑)確か、10数キロ太ったと言ってました。

●2013年正月。再起の決意…
2012年の年末のことです。前にも登場した、自民党の公募候補の総選挙(勝利の記録:VOL.9)で事務局長をやってくれたボクの同志から、ある伝言がありました。この同志と彼も、その後、時々呑みにゆく仲間となってたようで…その呑み会の席で、彼がこう言ったそうでした。「来年、年明け早々にヤマグチさんに、ご挨拶に行く…とお伝えしといて下さい!」と…・・でした。その伝言を聞いてボクは「そうか…またやる気になってきたんやな…」と理解しました。
そして、年が明けた松の内、彼は来ました。「いよいよやる気か?」「ハイ!ただ、選挙がいくつかありまして…どこでどうとかはまだ、決めかねています!また…追ってご相談させて下さい!」…・・でこの時は終わった。
この2013年には、K市で市会議員の補欠選挙が、2つの区で…そして、T区では、県議会議員が総選挙に出馬したため、空席となった一議席の補欠選挙も予定されていました。まあ…さてさて…でした。ただ、ボクはT区での県議会議員補欠選挙は、彼には厳しいな…と思っていました。なんせ、そのT区では、彼は市会議員の選挙で2回落選しています。しかも、2回目の時は、当選安全圏内が6000票ほどのところで、彼は2000票に届かない最下位だったのですから。ましてや、県会議員の補欠選挙では、一議席のみ当選のため、当選には、2万5千票〜3万票は必要なのです。これまでの彼の選挙での「実績」を見る限り、いくらボクでも…これは厳しいなあ…と思ったのです。
ボクは、ココはもう、心機一転、ゼロからのスタートで、市会議員の補欠選挙が彼の再挑戦には望ましいなと考えていました。
まあ…どこで出馬するにせよ…ボクは、かなり太った体型の彼を見て、「今から、10キロは痩せろ!ダイエットしろ!それから、その、オッサン臭い、メタルフレームの眼鏡は、止めろ!ボクのような、黒縁のセルフレームに変えろ!」と指示しました。「10キロ以上痩せたら、写真撮影をするぞ!」
T区の県会議員補欠選挙なら7月。H区とK区の市会議員補欠選挙なら
10月の執行でした。「まあ…まだまだ、時間あるから、状況、情勢よく見てから、どこで出馬か、結論を出そう!」と言うことで…この日は終わりました。

●2013年春、情勢流動…
春が来て…ある情報が耳に入りました。なんと、7月の知事選と同時実施のT区での県議会議員補欠選挙に出馬意向で、T区選出のK市・市会議員が自民党県連に「公認申請」を提出したとの情報でした。その人こそ、「勝利の記録:VOL.19」の、ボクの元クライアントの女性議員なのです。ボクは「アチャちゃ!」でした。「こりゃ、あかんわ!いくらなんでも、こいつが出るなら、T区の県議補選は無理やな!秋の市会議員補選にシフトせなあかんな…」というのが、ボクの思いでした。いくら、その女性議員との契約は終わっているとは言え…いくら、新たにK君と契約してるとは言え…やはり…やりにくいです。ましてや、彼は、彼女に2回負けています。また、K君も「自民党公認」を目指すつもりでしたが…彼女との公認争いなら、勝つはずありません。彼女は、自民党の現職市会議員で、当選3回。K君の実績では歯が立ちません。その県議補選で、自民党公認の彼女と、無所属のK君では、いくらボクでも先ず…勝てません。

K君を呼び出し、その由を伝え…H区の市会議員補欠選挙に照準を合わせて準備することにしたのです。ボクは、早速イメージ戦略デザイン構築に着手しました。この時、彼はすでに10キロの減量に成功しかなりスマートになっていました。また、オッサン臭い銀縁メタルフレームの眼鏡は捨てて、黒縁のセルフレームに変えていました。「オッ!エエ感じやん!」と…変身していたのです。

それから…数週間後、またまたある情報が耳に入ってきたのです。それは驚くべき情報でした。自民党に公認申請を出していた彼女が、申請を取り下げたと…いう情報でした。そして、その後まもなく流れた噂が、彼女がK市の市長選挙に出馬する…という噂だったのです。「なんじゃそりゃー!?」でした。そして…「何を考えてんねん!?」あまりに「唐突、時期尚早」まだ、そんな「器」ではない…というのが率直な感想でした。しかし…この事態は、K君にとっては、またまた新たな展開となったのです。まさに、K君にとっては「神風」となる展開が待ち受けていたのでした。

それから間もなくして…T区が地元の自民党国会議員からK君へ誘いの電話が入ったのです。「T区の県議補選に自民党から出ないか!」とです。
驚いたK君から、ボクに緊急電話が入りました。「どうしましょう?」とです。
勿論、ボクは「よし!シフトを変えよう!県議選へ!」と快諾したのです。幸いにして、H区の市会議員補欠選挙に向けての「運動」はまだスタートしていませんでした。ボクのイメージ戦略構築に取りかかっていた段階でした。
この後…大きな大きな流れが、K君を押し流しだしたのです。K君も「泳ぐ」のが大変だったかもしれません(笑)

●自民党公認候補となる!
まもなく初夏という頃、K君の県議補選に向けてのイメージ戦略も完成し、選挙区全戸に第一回目のビラが入りました。300枚近く撮影した彼の写真の中からボクが選りすぐった写真を使い、この選挙区で2度も落選した候補者には、全く見えない(笑)スマートでカッコいいビラでした。候補者名も、2度落選の時の名前を変えました。いわゆる「通称使用」の公選法の範囲です。
彼の名前は、「一邦(かずくに)」でしたが、選挙向けに「いっぽう」と読むようにしたのです。一般の方は、そんなことって大事なの?と思われるかもでしょうが…
選挙のプロのボクにとっては「すごく大事」なことのひとつなのです。

余談ですが、数年前に知人の紹介で、ある都市の市長選挙に出馬予定の方とお会いした時のことです。その人が「孝人(たかひと)」という名前だったので、先ず真っ先に「こうじん」に変えよう!とボクが進言しました。「たかひと」は「空気が漏れる響き」なので、選挙には向かない…と。「こうじん」が絶対、選挙向きの「響き」となる!と。そのとき、この候補者は「なるほど!それはいい!」と賛同しておきながら…2度目のレクチュアで会った時に、会うなり「すみません!やはり名前はたかひとで…お願いしたい!」と来たのです。「ええ?なんで?」と、問うと
「廻りの皆が、たかひとの方がいい!と言うので…」と言ったのです。
ボクはこの「瞬間」に「こいつ!だめだ!」と…さーーーーと「熱が冷め」彼とのコンサル契約はしませんでした。いくら、廻りの100人が「たかひと」がいいと言っても、
こと「選挙」は皆「素人」です。ボクは選挙に絡んでおよそ40年。プロの言うことを「素直」に聞かないといけません。挙げ句…彼はその時の市長選でも落選。その四年後の市長選でも落選しました。原因はおそらく、一時が万事ということでしょう。

さて、K君の第1回目のビラが入った数日後、K君が自民党県連の選挙対策会議で何人かの公認依頼候補を破り自民党公認候補に選ばれました。数年前の、同じ選挙区での市会議員選挙で、最下位だった彼が選ばれるのは…「奇跡か!」とボクは思いました。まあ…「流れ」というものは、こういうものかも知れません。政治の世界だけでなく、一般社会でも企業のなかでも多々あることかもです。
まあ…しかし、K君にとっては想像以上の「追い風」となったのは間違いありません。公認への最有力候補だった、ボクの元クライアントの3期連続当選の女性市会議員が急遽「方向転換」し…「市長選」に矛先を向けたことで…運がまわって来たのです。
こういう一議席を争う県議補欠選挙で、特に安倍人気で自民党の支持率が高い時、自民党公認が獲れるということは…
かなり有利な条件と言えるのです。」

●強敵あらわる!しかし…
いよいよ県議補選に1ヶ月超という頃、『エエッ!?』とさすがのボクも驚異に感じる女性新人候補が現れたのだ。少し前から噂は流れていたが…大阪維新の会の公認候補でいわゆる「落下傘候補」だった。記者会見をした新聞記事を見た。経歴を見ると、T区とは何の縁も無いが…出身大学が地元K市の名門国立大学だった。年齢も38歳、外資系のコンサルテイング会社のエリート社員出身。そして、浮動票を集めそうな「美形」だった。「アチャ!!これは大変!!」が正直な感想であった。ボクのクライアントのK君は、まあ…学歴では相当劣る(苦笑)また、浮動票を集めるのが、難しいルックス(苦笑)。イメージ戦略ではボクはイイ感じで作ってる自信はあったが…「チトこれは手強いな!」だった。こういうときは、「一騎打ち」になってしまうと間違いなく彼女の勝ちである。
こうなったら…「神頼み(笑)」他に新たな候補者が出てくれないかな…・である。ココで、また告示間近になって「神風」がK君に吹いた。民主党と共産党がそれぞれ公認候補を擁立してくれたのだ。「オウッ!ラッキー!!」とボクは心で叫んだ。もともと、このT区は以前から民主党の強い選挙区。民主党の候補者が
もし出てなかったら、その票は、ほとんど維新の女性候補が獲る。これもまた、まさに…K君にとっては「神風」だった。
さて、K君にとって自民党公認候補となったからには…勝たないと恥だ!というプレッシャーもあった。なんせ、安倍人気がピークの頃である。しかし、とはいえ…各地の首長選挙などでは、そんな中でも自民党候補の落選も相次いでいた。それも事実であった。やはりたとえ、自民党公認であっても、候補者の資質、見た目、学歴等…そういうこともマイナス要因となるのは十二分にあるのが選挙なのだ。しかも、候補者が乱立したとは言え…維新の女性候補は驚異であった。
そんな情勢不安のあるなか、ボクがデザインしたお得意のビラは、結局計3回
選挙区全戸に入れた。そして告示を一週間後に控えて、世論調査を実施した。どんな結果が出るか…ドキドキであった。
予算の関係で有効回答150という、調査としてはサンプルの少ないもので実施したが、ウチの調査は精度が高い個別聴き取り調査である。オートコールのように精度の低いものでは無い。150という数では、地区別の強弱などは探れないが…選挙区全体の強弱は探れる。
調査結果が出た。K君は、勝ってたのだ。「オーーッ!!いけるいける!!」であった。
ビラ等に安倍さんの写真や、コメントを掲載してるのが有効に働いていると確信した。そして、選挙本番に突入。箱もの(個人演説会)は一度も開催せず、
街頭活動に専念させた。県知事選挙と同時に行われた補欠選挙であった。
結果、自民党公認K君28868票で当選。次点大阪維新公認女性24417票、民主公認新人17810票、共産新人14752票という順位だった。
自民党公認だから、勝って当たり前…と言うが、この選挙の3ヶ月後の、K市K区選挙区市会議員補欠選挙では、一議席を争い、自民党公認候補は
破れている。そんな簡単なものでは無いのである。
K君は、ここぞと言うときに「的確に行動」して、やっと「運を掴んだ!」という長編ドラマでした。


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