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IMAへのメール


 
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●2005年8月
  2005年8月6日某県の自民党県連の事務局長より、突然の電話があった。『ヤマちゃん!いま、よろしい?実はね、未だ決まって無かった●区の候補者がな、いよいよ公募で決まるねん!この春から、県連で●区の候補者を、県連としては、初めての公募で選ぶことになってな、のんびり構えとったんやけど…俄に解散濃厚やろ!ほんで、急遽選対開催して、一位で選ばれた候補に、今日言い渡してんけど、ちょっと返事を待って欲しい…ちゅうことなんやけど…まあ、明日でも、「お願いします!」と、県連に来ると思うわ!ほんでな、まあ、解散濃厚で、こんな突然の選挙は、折角の公募候補やけど、県連としては、彼だけ特別待遇で、指導できへんねん!各選挙区を満遍なく配慮せなあかんからな。ほんで、お願いなんやけど、この公募候補の面倒をみてくれへんやろか!?こんな急な選挙を仕切れるのは、ヤマちゃんしかおらんし…また、この●区は、小選挙区になってから、3期連続で民主党が勝ってる、自民党が弱いとこやし…なんとか、お願いできんやろかー?』ということだった。勿論、その時ボクはすでに何人かの候補を抱えておりましたが、旧知の事務局長の依頼とあれば、断る訳にはいきません。
  『いいでー!また、正式に決まったら連絡頂戴!』
  その2日後、8月8日、遂に衆議院が解散しました!
  またその事務局長から電話がありました。『ヤマちゃん!えらいこっちゃ!断ってきたわー!候補者辞退したいちゅうて!!なんじゃーって感じやけど!!急に怖じ気づいたのかな…と思うわ!!ほんでな、急遽、今、公募で2位やった人に連絡とってんねん!!ほんで、その人が承諾したら、当初のお願い通り、頼みます!そして、8月10日やっと、その公募2位と連絡が取れた。サラリーマンだった彼は、夏休みで故郷へ帰り、家族連れで海水浴に出かけていたのだった、海辺で寝ころぶ彼の、携帯電話が鳴った!『自民党県連ですが、このたびの第●区選挙区の公募候補にあなたが選ばれました!直ちに、決断して下さい!受けるかどうか!ご承知のように衆議院は、二日前に解散しています!!』彼にとって、唐突な電話だったことでしょう(苦笑)まだ、任期を2年以上残しての急な解散でしたし、この秋以降に、公募候補が決まるという風に聞いていましたから…しかし、彼はその電話で『判りました!やります!有難うございます!』と快諾したのでした。(決断が早いのも重要です)そして、彼は、夏休みを切り上げ、会社と自宅のある東京へ向かいました。上司にその由報告し、退社することを了承して貰わねばなりません。
  彼はメガバンクに勤務する優秀なエリート社員でした。
  東京本社の彼の上司は『そうか!いい話だ!国家のために、働くというのは、素晴らしいことだ!そっちへ進みなさい!我々も出来る限りの応援はしよう!!』と、温かく送り出してくれました。退職したのは、8月12日、その海水浴の携帯電話から二日後のことでした。
  その日のうちに、そういう事情で、ボクに県連から電話が入りました。
  『ヤマちゃん!公募候補決まりました!明日の朝8時に、本人が東京から県連に来ます!ヤマちゃんもその時、同席してください!イイですか?』


●スタッフ探し…(苦笑)
  一を聞いて、二を悟る…じゃないですが、フルスピードとフル回転で何事もかたづけるボクです。どうせ、すべてをボクがやることになります。県連から、党の公認料とかの資金はそれなりに来ますが…人の応援は来ません。
  この時、すでに公示日は8月30日。投票日は9月11日…と決定していました。とにかく公示日まで、20日ほどしかありません。お得意のビラは準備等も入れると一回しか選挙区に全戸配布できません。選挙区には、自民党の県会議員や、市会議員はそれぞれいますが…まあ、セレモニー的な「支援」しか期待できないのが、この世界です。そんな「政界事情」はボクの長い政治経験で痛いほど判っています。ボクは、その候補者と出会う翌日の朝までに、キャッチコピー、候補者の名前ロゴ、後援会のロゴなどすべて作成し、公募候補に決まるまでのストーリー、そして、公示までに最低限必要な印刷物のデザインをすべて数時間で片付けました(早いなあー)。そして、総選挙です、候補者一人ではいくらなんでも戦えません。最低限のスタッフが必要です。それも、明日からでも毎日来れるような、体の空いてる人で、しかも、少しでも選挙経験のある人です。すぐに頭に浮かんだ、めぼしい人に電話を入れました。『すまん!無理言うけど…という事情で…ということで…なんとか、投票日まで体預けてくれんかー??』彼は、ボクのスタッフのようなものなので、快諾してくれました。ただし、そこの選挙事務所で普段の彼の仕事もやって良い…という譲歩した条件でしたが(苦笑)。ただ、彼は、ボクの代議士秘書時代からのボクの右腕的存在で、当時は、ウエブ制作業を開業していたのです。『ついては、ホナ、明日朝8時、県連に来て!候補者と会うから!』
  次に二人目、『オイ!今、何やってる!?仕事や!』(言葉使いが違います)
  強引に引っ張りました。『ホナ!明日朝8時なー!!』彼は、以前に選挙アルバイトの経験ある男でした。二人は確保できました。とりあえず、コレでもええな…と思い、夕方制作スタジオを出ました。そして、車が六甲山を越え、自宅近くの大きな交差点で信号待ちをしていたときです。「ノー天気」そうな、知り合いの若い男の子が、元気溌剌という感じで、横断歩道を小走りに渡っていました。そいつを見て、ボクは「オウっ!コイツや!」と思い…車から、すぐに彼の携帯に電話しました。『オレや!!今、オマエ何してる!!仕事や!ちと手伝わんかー!オモロイゾー!』と半分、脅迫まがいの誘いをしました。彼は、本当に人当たりのいい男で、ボクの廻りの男では、ボクのお気に入りでした(笑)コレは今でもそうです(余計なことか…苦笑)結局、彼も今の仕事をほっぽらかして…来てくれることになりました。彼等を連れて、そして、急遽制作したデザイン集も持参して翌日朝、8時県連に入ったのです。


●怒濤の街頭宣伝活動!!
  とにかく、事前運動期間が、ボクがコンサルした選挙では『最短』しかし、有権者は30万人を超える衆議院選挙です。かってないような、激しい街頭活動を候補者にさせました。候補者もついこないだまで銀行員だったにもかかわらず…水を得た「魚」のように…めちゃくちゃ頑張りました。まあ…エリート銀行員を辞め、妻子もいるし、背水の陣ですな。朝は5時からスタートし、夜は最終電車までだから、夜12時近くですか…もう涙ぐましい活動です。とにかく、選挙区に「顔を見せ」「声を聞かせ」の連続、連続の運動です。「強力公募新人!!」というので売りまくりました。彼の駅や、バス停での、有権者との接触は、本当に、鬼気迫る「迫力」でした。
  しかし、客観的に見て…この選挙区は、小選挙区選挙になって、自民党候補が勝ったことがない…という革新の強い、選挙区です。しかも、当時の対立候補は民主党の県連会長の常勝候補。強い敵です。大方の見方は、「コイツが通るのは、奇跡が起きた時だけやな!」でした。
  小泉旋風が吹き荒れた選挙ではありましたが、小選挙区で候補者が全員通った訳ではありません。自民党は小選挙区で289人が公認候補でしたが70人落選しました。そんななかに入ってる候補と言われても不思議では無い選挙区でした。当然、選挙中に、小泉さんは彼の選挙区には入って来てません。同県内の別の候補者ところへは入られましたが…
  まあ…しかし…ボクはそんなこと気にもしません。ボクのペースでドンドン攻めました。そのうち、そういう状況の中、一人の援軍が来ました。前回の総選挙でこの選挙区の自民党候補の秘書だった男です。選挙区事情に詳しいし、選挙運動に慣れてるし…最高の援軍だったかと思います。
  これで、スタッフは四人になりました。コレで選挙は充分戦えます。ボクがついてるんですから(笑)


●民主候補の圧勝!!
  民主現職は、連続3回当選の強者。10年近く「事前運動」をやってるようなもんです。こちとらは、公示日まで、僅か20日間だけの事前運動です(苦笑)誰が勝つと思うでしょう。公示直前に各マスコミの事前世論調査の結果が耳に入りました。どこもが「民主候補の圧勝!」という数値が出ていました。また、党本部の世論調査でも同様の結果が出ていたようです。
  こういうことが、事前に出ると…というより、党本部も「重点候補」や「切り捨てる候補」とかをセレクトせねばならんので…当然、我が候補は、もうこの時点で、「切り捨て候補」の烙印を押されたことと思います。こうなると…党本部からの大臣クラスの応援なんて、皆無となります。また、結論から言うとその通りでした(苦笑)、ただ一人、「有名代議士」が選挙中に応援に入って来ました。当時の幹事長ですが…「不人気」の絶頂の人でしたから、お話になりません(苦笑)。
  あっという間に選挙が公示されました。ちなみに、こういうある意味、「表参謀」としてボクが出ても不思議じゃない選挙でも、ボクのスタンスは今まで通り…表にでません(苦笑)表向きはボクの「右腕」に任せきりです。
  公示の日の朝10時。どの候補者も実施する、「選挙事務所開き」を形だけ実施しました。しかし、彼は、典型的な「落下傘候補」。生まれは四国。
  仕事は東京と大阪。この選挙区とは、なんの関係も地盤も無い候補者です。当然、そういうイベントをお知らせする「支援者」的な人が、ほとんど皆無です。完全空中戦の選挙なんです。普通、衆議院選挙候補の選挙事務所開きは、田舎の選挙なら1000人近く、都会の大物候補なら、500人位は支援者が集まり、気勢を挙げます。
  ボクは、この我が候補はそういうイベントは意味無いので、やらないつもりでしたが、同選挙区の自民党の県議、市議らが「そんなんないでー!!やらな!」ということで…実施。集まった人たちは、その議員さん達の数名、スタッフの4人、候補者の数人の友人、あとマスコミで総勢20人もいませんでした(苦笑)ボクが、石井代議士秘書時代、石井さんのそれも500人以上はいつも集まってましたから…
  当然、敵の民主党現職のそれは、相当の人数を集めていました。
  しかし、ボクはそんなの気にもしません(笑)


●接戦??ホンマかい??!!
  党本部が実施する世論調査はその後も、耳に入ってきました。マスコミがやる選挙中盤情勢も耳に入って来ました。まだ、投票日まで半分残した頃、「民主現職優勢」でした。まあ…まだ当然でしょ。
  この頃、県連局長に運動の中間報告したとき、局長がこう言いました。
  『ヤマちゃん!ホンマにすまんなあ!こういう選挙をやって貰って…ホンマ、助かるわ!今、県連では、公募候補の当選は奇跡が起こらんと無理やろ…という見方やけど…これを当選させたら…また、さすがにヤマちゃんとなるでー!!すまんけど最後まで見捨てんとやったってなー!!』
  まあ…さすがのボクも奇跡が起こらんと…って感じで思ってましたけどね…
  そして、候補者の選挙運動は事前の運動にも増して…激しい、激しいそれになっていました。ココで、本当は書きたく無い、ヒトツの作戦を明かします。この「勝利の記録」を読んでる人に「小泉旋風」で勝ったと思われたくないからです(苦笑)プロのプライドが許しません。
  とにかく、街頭活動一本槍の選挙をやりました。衆議院選挙というのは、ほとんど全国の候補者が選挙中は「個人演説会」をかなりの回数実施します。一晩に3会場はザラです。石井さんの時は、一晩5会場が定番でした。なんせ、それが当たり前のことなのです。本来の衆議院選挙は。
  ところがボクが取った作戦は、個人演説会は「実施しない!!」でした。
  彼がそれをやっても、どこの会場もおそらく閑古鳥だし(苦笑)選挙事務所開きの前例がその証拠です。とにかく、ずっと夜は駅前の街頭活動を最終電車までやる…という運動に徹底したのです。街頭活動は夜8時まで?そうですよ…マイクが使えるのがね!彼は、その後は「肉声」ですがな…(笑)
  選挙中、いろんな駅で、敵の現職と夕方の駅頭で、ガッチャンしますが…敵は夜7時頃から、セオリー通り、3会場ないし4会場のそれをやってるので、6時半頃には、駅頭を、運動員だけ残し去って行きます。我が候補は、5時頃から最終まで、ずっと駅頭に居て、沢山の有権者に顔も、声も聞かせて、切々と支援を訴えているのです。敵が演説会場で各会場50人集めて3会場やっても、会うのは150人。こっちは、恐らく、その50倍〜100倍近くの有権者と顔をあわせてる訳です。この差は大き過ぎるほど大きいと思います。
  投票日まであと3日という頃に…各マスコミの最終世論調査が耳に入って来ました。NHKをはじめ、朝日、毎日、読売、産経・・と結果が出たのですが…実数はどの、マスコミも「接戦」と数字は出たようでした。しかし、皆、首をかしげたようです。「まさか、こんな筈は無い!!」とです。そこで、翌マスコミがやる「修正」というのを。NHKと朝日以外は実施、まだ、民主現職が優勢か?とみたようです。しかし、NHKと朝日からは、「接戦のようですよ!」と耳に入って来ました!『オウっ!!!コラ奇跡が起きるんかいなーーー!!』とボクは、密かに、密かに胸がざわつきました。


●奇跡が起きたーーー!!
  そして、そういう調査結果を候補者の耳にも入れ、勇気付け、発憤させ、投票日までの怒濤の『攻撃!』を指示しました。そして、審判の日。またまたドキドキの時間です。
  夕方、自宅で待機してるボクに、自民党の市会議員のボスから電話が入りました。『ヤマちゃん!おめでとう!』『エッ?』と驚くボクに、このボスが、選挙区を独自で『出口調査』を実施したらしく…それが、どうも我が候補が優勢で、一応、おかしいと思って、某放送局の出口調査とつきあわせたら…同じような結果だったらしく…我が候補の当選は間違い無いと判断してくれたようなのでした。そして、彼はボクに電話をくれたのでした。
  ボクは、やはり開票が始まるまで不安ですが…心はウキウキしました。
  そして…我が候補、当選92556票、敵現職、87182票で、勝利したのです。惜敗率の関係で、敵民主現職は比例復活はしましたが…
  選挙後、県連事務局長いわく…『誰も、彼が勝つとは思って無かったわ!いくら小泉旋風でも。彼だけは、負けると思ってたから…ヤマちゃん凄いわ!!』
  そして、この新代議士の公設秘書にはこの4人の戦士のうち、二番目の「脅迫まがい(苦笑)」で選挙を手伝わされた男が、年長なので「公設第一秘書」に。そして、三番目の「偶然目の前の横断歩道を渡ってた男」が年若いので、「公設第二秘書」に就任いたしました。

  四番目の「強力な援軍」となった男については、また語るべき話が。また後日、ここで登場します。政治の世界の「非情」さの伝わる話です。 



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