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●2001年新春
  ボクが代議士秘書時代からの、知己である関西電通本社の名物営業マンA君から、突然電話がありました。『ヤマグチさん、お久しぶりです!お元気ですか?いつもB君から、お噂は伺ってますが…(笑)実はですね、東京の話なんですが、東京電通のC君繋がりの仲間なんですが、灘中、灘高、東大出の秀才で、現在は慶応の先生してるんです。ほんでね、今年の夏の参院選に立候補することが決まって、いろいろ準備を始めてるんですが…なんせ、素人集団なもんで…何から手を付けていいのやら…ちゅうらしいいんですわ。それと、電通はまあ、どちらかと言えば自民党サイドなもんで、表には出れないし、かつ候補者も電通に依頼するような資金も無いし…ほんでね、ヤマグチさんのことを話したら、是非お願いしたいちゅうことで…どうですか?お願いできますか?』勿論断る理由はありません(笑)
  まもなく、上京しました。赤坂のANAホテルのカフェで、この選挙を仕切ることが決まってる人、D氏と会いました。彼は現役の芸能界の裏方の人間でした。電通マンのA君や、C君やと繋がりのある仲間でした。すでに、彼に会う前に、選挙に向けてのイロハは、前もって郵送していました。すでに、その作業にはかかっていたようです。D氏は、ボクのレクチュアを前屈みの姿勢で、食い入るように聴き…何度もこう相づちを打ちました。『芸能界と同じですわーーー!!』彼も、選挙を仕切るのは全くの始めてだったのですが…芸能界では、名の通った敏腕プロデユーサーらしく、「選挙で売り出す」ということと、「芸能界で売り出す」ということが…ボクの話を聞いてると…「同じだー!似ている!!」と感じたようでした。また、そういうことになれば、「自信」も持てますから…結果良かったなと思います。数時間の最初のレクチュアを終え『ほな、これから、7月まで毎月一回上京するわ。会うのはオマエさんとだけでイイ。まあ次回は候補者とも会うでー!』

●こぶ…クロ…??
  ボクはボクで、東京は好きなほうなので月1回の上京は楽しみでした。ボクのクライアントは主に関西の候補者なので、東京界隈の候補者は大歓迎なのです(笑)。この候補者の参謀さんのD氏は、某大手レコード会社のプロデユーサー経験を経て、当時は独立しプロデユース会社を経営。大手レコード会社時代には、主に新人発掘売り出しに敏腕を振るい、X−JAPAN、ラルクアンシエル、パフィー等成功を収めていた実力者でした。
  2月に2回目のレクチュアと候補者との顔会わせをしました。候補者は、小さな体で、また、あまり「元気」を感じない男でした(苦笑)。候補者は、すぐ選挙運動に行かせ…また、D氏とのレクチュアに入りました。D氏は、のみ込みも早いし、頭が抜群にイイので…すごくやりやすい陣営でした。
  そして、彼は以前に神戸に住んでいたらしく、神戸で一番のライブハウスのチキンジョージの社長とも友人で、このあたりも話が盛り上がりました。もう…選挙抜きです(笑)
  彼が、別れ際に、『やまぐったん!コレあげるわ!また、聴いといて!!』と言って「試聴盤」と書かれた一枚のCDをくれました。男の子二人のデユオで「コブクロ」と書かれていました。『コレ、去年の夏頃から仕掛けてて、来月くらいには大阪から火がつくから…』と彼は言いました。
  『フーン…おおきに!』と言って別れました。
  神戸に帰ってから、そのCDを聴きましたが、なんか、ボク等の青春時代によくあったようなメロデイーラインとリズムでした。


●落ちる筈のない選挙
  まあ、選挙は確かに素人集団ですが、選挙情勢は、東京選挙区での、この候補者は、落ちたらオカシイ…という選挙でした。定数4名で、自民と民主と、公明は定位置という選挙です。ですから、まあ、選挙運動の合法的、合理的進め方を常にチエックすればイイだけの、ボクにとっては楽な楽なクライアントでした(笑)。また、参謀のD氏も、ある意味「水を得た魚」のごとく…の慣れた動きで、まさに「芸能界」と同じように活躍していました(笑)だから、3月のレクチュアも、選挙の話は、すぐに済み…旨いモノを食べるとか…芸能界の話を聞くとか…になりました(苦笑)
  実は、この頃、つまり3月頃は彼の予言通りに、大阪のFM各局で、このコブクロのデビュー曲「エール」がかかりまくっていたのでした。ボクが貰ったアノ「試聴盤」です。その後の大ヒットはもう誰もが知ってます。驚きは、それだけではありませんでした。この時にまたD氏から聴いた話です。
  『やまぐったん!今なあ…アカペラグループを仕込んでるねん…白いスーツ着させてなあ…ゴスペラーズ言う名前でな…この秋頃には、火を付けようとしてんねん…』その言葉通り…ゴスペラーズは秋に出てきました(笑)
  まあ…選挙に関係無いハナシですが…オモロイから書いてます。こういう人が参謀についたことを候補者は喜ばなあきまへん(笑)


●そして5月頃
  ボクにとって、月一回この陣営の参謀に会うのは、遊びのようになって来ました。しかし、彼から、『もう一人、誰か選挙経験のある男の子を紹介してくれへんやろか?やっぱり、選挙をあと二ケ月後に控えて、チト不安もあるし、実務経験ある人が毎日事務所に詰めていてくれると…助かる!』『判った!東京在住の適任者を探すわ!』
  数日間、頭を巡らせ…一人浮かびました。『オウ!元気か?実はなあ…
  どうや?』何も知らずに、当時日本総研に勤めるこの男に電話をしましたが…なんと、彼は慶応の学生時代にこの候補者の講義を受けてたことがある…と判明し…トントン拍子で彼に決まりました。彼は、ボクの石井はじめ代議士秘書時代の縁者で、いずれは代議士を目指してる…という若者でした。彼をE君とします。結局、選挙は、参謀D氏とE君とで仕切ることになりました。余談ですが…このE君は、この候補者が7月に当選後、公設秘書として採用され…日本総研は退社。数年後、ボクのクライアントとなり、代議士となりました。
  そんな頃のことです。兵庫県の貝原知事が突如引退表明をされたのです。5月21日のことでした。


●6月初めのある日のこと
  雨の日のことでした。夕方、突然また関西電通の名物営業マンA君から電話が入りました。『ヤマグチさん!東京の参院選ではお世話になってます!今、よろしいか?あのう、今日夕方からちょっと、体空けて貰えません?』『何?』『いや!理由は聞かんといて下さい!なんとか体空けて下さい!お願いします!!夕方5時頃、指定の場所に車でお迎えに上がります!お願いします!』『判った!ほな、行ったるわ!5時な!』
  彼が迎えに来て、車に乗り込みました。『なあ…どこへ行くの?今から』『いや、黙ってついてきて…お願い!(苦笑)』『そうか…判った!』まあ…殺されることはないでしょう…(笑)
  着いた先は、大阪にある関西電通の本社でした。彼の案内で、ドンドン部屋を抜けました。そして、入った部屋は細長い部屋が印象的な会議室でした。すでに、そこには、10数名の人が座っていました。『ヤマグチさんは、ココに座ってて…』と言って、彼がボクに席を用意しました。会議が見渡せる感じの「座長席」の隣でした。彼はボクに小声でこう囁きました。
  『ヤマグチさん、ずっと黙って、皆の話を聞いといて…』
  会議がまもなく始まりました。内容を聞いてて、すべてが判ってきました。会議は、その突如引退をされて、参議院選挙と同時に選挙が決まった、兵庫県知事選挙のことでした。集められてたのは、関西電通の選りすぐりのメンバーで、営業マン、SPマン、コピーライター、デザイナー等でした。そして、関西電通としては、大切なクライアントとして、●●候補の応援を決めた。
  その●●候補の必勝態勢を組むにあたっての「戦略会議」だったのです。
  コレも、ボクから言わせたら…「負ける筈の無い選挙」でした。何故なら、●●候補は、現職副知事であり、貝原知事の後継者として誰もが認める人であったからです。
  会議は1時間超ほど、語られていました。しかしまあ…プロのボクが聞いてたら「退屈」な会議でした。まさに電通マンという感じの意見や話が続きました。


●「こんな会議何の意味も無い!」
  ひととおり…意見やプランが出尽くしたところで、座長役のA君が、初めて皆にボクを紹介しました。『今日は、ご多忙の中を、選挙のプロとして現在活躍中のヤマグチさんに来て頂いております!ヤマグチさんは…(中略)』とイロイロ言ってボクを紹介した。そして彼はこうも言った『そしたら、ヤマグチさん、プロとしての今日の会議を聞いて頂いての意見、又は、この知事選へのご意見を、忌憚無くお聞かせいただけませんか?』『言いたいこと言ってエエか?』『ハイ!イイです。お願いします!』『ホナ、言わせて貰うでー
  ずっと、聞かせて貰ってましたけど…この会議、ハッキリ言って、何の意味もありません!皆さん、流石に、電通…という感じの話ばかりですが…今回の知事選挙は、そういう手法や、企画は全く必要はありません!!そんなお金を使う必要もありません!!イイですか?皆さん!今回の知事選挙は、現職が突然の引退、そして後継者として●●副知事が指名され…の選挙です。この兵庫県の知事選挙というのは、表向きは、与党の自民党が過半数を獲り、各地区の自民党兵庫県議会議員が、それぞれ現職知事の応援をしてきた歴史があります。しかし、ボク等のように、選挙事情に詳しい者は、県職員の幹部OBが各地に多くいて、彼等が「選挙の実働部隊」だと言うことは皆知っています。実際、議員というのは、人の選挙では、「実働」はあまりしないのが常識です。ですから、今回の知事選挙では、簡単に言えば、貝原知事のやってきた「選挙運動」にちょっと「手を加える」だけで…貝原さんが集めてきた「票」以上に獲得できる可能性があるのです。たとえば、貝原さんが、県の奥地の但馬地区で演説会を開催したとき、貝原知事は、県の現地OBが世話し、沢山の人が集まった会場に出かけていた筈です。また、演説が終わったら、皆さんにさよなら!!と先に会場を出た筈です。そこを、この●●候補には、人が集まる前に会場に行かせ、そこで集まる人たちを入り口で「迎え」、演説が終わっても、出口で皆さんと握手し、皆さんを送り出す…それをするだけでいいんです。
  県の各地会場で、それをするだけで…OB実働部隊も、喜ぶし、集まって人たちもエライこの候補は、前と違うなあーーーと好感を持ちます!ですから、それをするだけで…貝原さんは、これまで平均80万票〜100万票の票で勝ってましたが…それ以上の票が出る可能性があります!』と熱弁を振るいました。集まってた、10数名の電通マン達は「唖然呆然」
  『ほんまやな…なんか…目のうろこが落ちたなあ…仰る通りかもしれんなあ…』皆…うなずくばかりでした。
  コレもヒトツの『勝利の記録』です。そう思いませんか?(笑)
  相手は、選挙の仕事も受けてる電通マン達。それも選りすぐりの。
  ボクは、たった一人で、デザイン、コピー制作、戦略企画と行う選挙コンサル会社。それが、電通マンをノックアウトしたのですから(苦笑)
  座長のA君が、こう言いました『さてさて、どうしましょう?皆さん!明日には、●●選対の●氏に今日の企画会議の報告をせねばなりません!どうしましょう?』と困った顔で訴えました。誰も答えが出ません。ボクが口を開きました『ありのまま報告したら?皆、ボクの話に納得したんやし…それしかしゃーないやろ?このままこうなった・・と言えばイイやん!』
  結局『そうしますか?』と座長が皆さんに言うと、皆それでイイとなりました。

●「そのヤマグチさんを呼んで!」
  翌日の午後のことです。その電通マンA君から電話が入りました。『スミマセン!ヤマグチさん!今朝、県の●●さんという今回の知事選の最高責任者に昨日の企画会議の報告をしました。仕方ないので…ヤマグチさんのお名前も出してしまいました。まずかったでしょうか?それでね…●●さんが、そのヤマグチさんをすぐに呼んでくれ!ということになってしまいましてね…どうでしょう?お願いできませんでしょうか?先方はコンサル契約をしたいそうです!』実は、この知事選挙では、対抗となる大学教授陣営からも、すこし前に『その時はお願いするかも…』という話が来ていたのですが…
  結局、そっちは断り、電通マンの言う通りにしました。
  数日後、すでに完成していた●●候補の選挙事務所を電通マンとともに、訪ねました。そこの応接間には、貝原知事の選挙を仕切ってきた「事務局長」さんと、●●選対の「事務局長」さんが待っていました。
  告示まであと一ヶ月半ほどの頃です。この日から、週に一度、彼等をレクチュアしました。

●あたりまえやけど…(苦笑)
  そして、東京の参院選と、この知事選は同日選挙となりました。
  負ける筈のない…東京は勿論、勝ちました。彼は、その後も当選し、2009年には文部科学副大臣に就任しました。
  また、この●●候補は、約140万票という、大量得票で「圧勝」しました。
  この知事もその後、連続当選しています。


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