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●初夏のある朝のこと 
  ボクは、当時の制作スタジオのある須磨に向かって車を走らせていました。
  当時の神戸御影の自宅から、須磨海岸沿いのマンションの上層階にある制作スタジオまで、車で約40分程の距離です。途中に三宮の繁華街を通過します。その三宮の加納町の交差点で信号待ちになったときのことです。外から声が聞こえました。ボクの名前を呼ぶ元気な声でした。声の方を見ると、隣の黒塗りのトヨタセンチュリーの運転席からの声でした。ある代議士のお抱え運転手でした。ボクはウインドウを開け…『オウッ!!元気かー!!お茶でも行くかーーー!!』
  県庁のすぐ西側にあるロイヤルホストへ入りました。『久しぶりやなあーーー!頑張ってるか!?いまもあのセンチュリーいうことは、●●代議士の運転手してるちゅうことやな?(苦笑)よう、続いてるなあー(笑)』人使いの荒い代議士として有名な人だからです(苦笑)。彼は、勿論、ボクが選挙コンサルタントとして独立し、市長選挙や議員選挙で活躍してるのは知っていました。
  『ヤマグチさん、凄いよなーーー!!ホンマ、皆当選させようもんなあーーーー!!』…と、彼はお猿さんのような顔で、ニコニコ笑って世辞を言いました(笑)。話がいろいろ弾んだとき…彼が突然、こう切り出しました。
  『ヤマグチさん…ボクなんかでも…議員になれるやろか?ウチの代議士の運転手をもうかれこれ10年はやってきてなあ…いろんな選挙について行くから、まあ…いろんな候補者を見てきたわ!!正直言うて、こんな候補者なんて、ボクより大したことないんちゃうん???ちゅうのも見て来たわ…・・とは言ってもなあ、ボクは大学も出てないし、そんなに賢くも無いし…運転手ちゅうので、まあ…秘書さん達と比べたら、よく低く見られて来たし…そやけど、なんかなあ…死ぬまでにな…なんか、今までそういう風に、ボクを見てきた連中を見返してやりたいなあ…・・なんて、時々思ってん。なんか…死ぬまでにひと花咲かせたいなあ…・・とな…・どう思う?ヤマグチさん!ボク、神戸なんかで市会議員になられへんやろか?なんかヤマグチさんやったら、なんかそんなこと出来そうな気がするねん…どう思います?』偶然の交差点の再会にしては、なんか堰を切ったように、自分の胸の奥にしまっていた「熱い想い」を語る姿に、ボクはある意味感動を覚えました。
  でも、ボクはシビアに見て、彼は神戸市議はとてもじゃないが無理と思いました。ボクは真摯に答えました『神戸市議は、絶対に無理や!あきらめ!!ただな、1500票以上も獲れば当選するような、A市やB市なんかなら、ボクがコンサルやって、オマエさんが言うとおり動いたら、当選するかもやで…』彼は目を爛々と輝かせ…まさに、遠くの「希望の光」を見つけたように、ボクを見つめ…『ホンマー!!!???そんなことあるん???ちょっと、しばらく、考えてもエエですか???』偶然の交差点での、久しぶりの再会が、思いもかけぬ方向に、動き出したのでした。『ヤマグチさん!よく考えて…また、相談に伺っていいですか?』『勿論や!よう考え!第一、家族の意見も聞かんとあかんでー!!』と言ってロイヤルホストを後にしました。


●一週間後に…
  須磨の制作スタジオに電話が入りました。元気な声の彼からでした。
  『ヤマグチさん!今からお伺いしていいですか?30分程で行けますが…』海しか見えない、ボクの制作スタジオの応接コーナーで、彼は話し始めました。『ヤマグチさん!何日か、寝ずに考えました!もう興奮して、興奮して寝れんのですわ!嫁さんは、あんたの好きにしたら…と言ってくれました。母親も、そんな勝負するんやったら、大したお金にはならんけど、鹿児島の土地を処分して、少しは資金に使い!と言ってくれました!どやろ…ヤマグチさん、ボクをオトコにしてくれんやろか??!!ボクを今まで、バカにしたり、低く見てた連中を見返してやりたいねん!!必死でやるわ!!死にものぐるいで頑張るわ!!なんとかお願いしますわ!!ボクをどこかで当選させて、議員にして下さい!!ほんでね、ヤマグチさん、ボクの母親が、今A市に住んでるんですわ!せやから、どうせならA市でどうかな…と思ってるんです。どうですやろ?A市ならヤマグチさんからも候補に出たし…・』まあ…とにかく、ボクは驚きました。よくまあ…決断したものだと。勿論、ボクは「ロイヤルホスト会議」では、真摯に話しはしましたが…こんなに早く、その気になってしまうとは、夢にも思っていませんでした。しかし、彼のその「熱い想い」に、応えてやらねば…と思いました。
  『ヨシ!やるか!でもな、絶対当選させるという保証は無いで!!選挙はそんなに甘いモンじゃないでー!幸い、選挙まではまだ2年近くはある。地道な運動からやっていけば…イイ勝負には間違いなくなる!それで・・しかし、オマエさん、代議士さんには話したのか?』彼は、まだ話していませんでした。『代議士さんとこも、突然、運転手が辞めたら困るやろし…そら先ず、言わなあかんでー!ほんで、反対されると思うけど…それで、心がふらつくなら、選挙なんか出んほうがエエで!!何を言われようが…他の秘書さんたちになんと言われようが、絶対に立候補したいなら…そんな雑音は気にせず…我が道を行く…でないとあかんで…そんな話を耳にして、迷いが出たら…止めやー!!エエな!!また、その結果で、またココへおいで!!なっ!!』彼は、ちょっとばかし暗い表情になり…制作スタジオをあとにしました。


●それから数ヶ月後に…
  しばらく、音沙汰無しになりました。代議士さんに話したものの…ガツンとやられ…意気消沈してるんやろなあ…・・と推測していました。まあ…彼を知るウチの98%程の人たちが、『何考えてんの!!止めとき!やめとき!!そんな無謀なこと!そんなお金をドブにほかすみたいなもんやし…●●君がそんなん、当選なんかするわけないやん!!それこそ天地がひっくり返るわー!!』との反応だったことでしょう。そのくらいに、思われてしまう可能性があるような「立ち位置」だったかも…とボクも正直思います。でも…人は変わります。良いようにも悪いようにも変わります。それは、百姓上がりの秀吉が、後に「天下を取った」という歴史で証明しています。とにかく、人が、背水の陣で、大きな決意を固め、厳しい戦いに挑む…玉砕覚悟で挑む…というのにはボクは、自分が持ってる「能力」を最大限に発揮して、その大きな「夢」を叶えてあげたい…と思うのです。たとえそれが無謀な挑戦でもです。それがボクの、「性」なんです。
  数ヶ月経過した頃です。彼から電話が入りました。『ヤマグチさん!代議士ところを辞めました!!勝負します!いつお伺いしたらいいですか?』『今すぐおいで!!』彼は、まもなくすっ飛んで来ました。さわやかな顔をしていました。吹っ切れたようでした。選挙まであと一年半。さあ…ボクの出番でした。
  彼の代議士さんの反応や、彼が勤める代議士事務所の秘書連中の反応も、ボクの予想通りだったようでした。先ず、誰もが「ただの運転手」という目で彼を見ていたので…彼が政治家に立候補なんて、ユメユメ思ってもいなかったようでした。どうも冷たい目で見られたようです。しかし、彼の目は吹っ切れていました。決意を固め、背水の陣でこの戦いに挑む覚悟は出来ていたようでした。『●●君、よう決断したな!今からは、とにかく、君の予算と能力に合わせて、戦略と戦術指導をしてあげるから、ボクにこの一年半ついておいで!!エエな!!無理なことや、出来ないことは押しつけへんから心配せんとき!しばらく、その作戦を考えるから…10日ほど、のんびりしとき!この間に、君の廻りにいる親しい人たちに、「選挙出ます!」言うて、挨拶回りしててもエエで!』彼は、『とにかく、もうボクはヤマグチさんだけが頼りやし!なんでも言うことを聞きますから…ずっと見捨てんといて下さいよ!お願いしますよ!絶対にですよ!』彼はよほど、心細かったのかと思います。でも、奥さんが、反対しなかったのは嬉しかったことでしょう。


●またまた、頭フル回転!!
  数日間、頭をフル回転させていました。『とにかく、こんなオモシロイ候補者は、この街では初めてやな…!!』というインパクトのある戦略構築が必須でした。このA市の市会議員選挙は、30数名の定数に60人近くが立候補するという選挙区で、選挙中のポスターは、やはり全員がズラっと並ぶ、なかなか目立たない…よほどのインパクトが無いと目立たない…というところです。また、彼の経歴も、風貌も、なんのインパクトもありません。とにかく、キャッチフレーズや目玉の政策、変わったポスター等で、有権者の頭と目に焼き付けないと…印象に残りません。また、印象に残るだけでは、票に繋がりません。票につなげる可能性がでそうなモノで焼き付けなければならないという…大命題がありました。
  この候補者の、その本当に心の底からの「ボクをある意味バカにしてる人たちを、当選で見返してやりたい!」という心根になんとか応えてやりたい…という、ボクの強い思いで…頭フル回転、必死の構築が始まったのです。
  数日間、考えて…出ました。その大命題に応えるだろう…回答がです。ココでも、ノウハウとはいえ…この「勝利の記録」の重要な要素なので、明かします。但し…名前とかは「仮名」にします。
  先ず、彼の名前(仮名)、冨士田彰が生きました。コレは彼にとって誠にラッキーな名前だったと言えます。コレは親に感謝です。当時の大物政治家に藤田明という名前の人がいたのです。『コレは使える!!』と先ず確信しました。正式な読みは、彼は、冨士田と書いて、「トミシダ」と読みました。でも、殆どの人は、「フジタ」と普通は読みますよね…明と彰は、同じ「アキラ」です。だから、「あきら」とひらがなにすれば同じになります。そこで、コレをキャッチフレーズのヒトツにしたときは、こうなりました。候補者名は、「ふじた★あきら」でその有名大物政治家と全く同じにしました。しかし、戸籍の本名は、「トミシダアキラ」なので、「通称使用の申請」を選挙前に出すこととし、それまでの約一年半、その「フジタ★アキラ」をいろんな印刷物や、ハガキ等で使用し、実績を作ることにしたのです。コレが先ず、大きな一つ目。
  二つ目の目玉は、政策のキャッチフレーズでした。この選挙区A市は、隣接に神戸というオシャレな大都市を抱えていました。そこで、ボクが考えだした作戦は、この神戸市との合併を打ち出そう…でした。A市は、まあどちかと言えば、田舎町。そんな田舎町が、神戸市に併合されると、「神戸市A区」と呼び名が変わります。また、人口的にも、神戸市のヒトツの区ぐらいの規模の町でしたし、なんの違和感もなく感じます(ボクだけだったかもですが)。勿論、簡単な話では無いし…実現の可能性は低いのは承知です。しかし、インパクトは間違いなく強い…と感じました。決まりました。二つ目の目玉のキャッチフレーズは「神戸市A区』となりました。ボクは、この二つの目玉が浮かんだ時点で…「この選挙、勝てる!!」と確信しました。オモシロイからです。間違いなく、インパクト強いし、誰もが「オモロイこと言う候補者が出てきたなあ…」と目を引く…と確信しました。そして、最後に浮かんだ作戦は、当時、Jリーグが誕生した年でした。それまで、日本ではややマイナーだったサッカーが、大きく注目を浴び、サッカーブームのうねりが起き始めていた頃でした。ボクはその流れに乗ることに決めました。候補者に、サッカーウエア、サッカーシューズを着させ、そしてサッカーボールを持たせた写真をスタジオで撮影しました。すべての印刷物、選挙中のポスターにこの写真を使用したのです。結果、早くやったモン勝ちでした。まあ、年寄りがこんな格好してたら、お笑いですが、彼は若かったのでそれなりに様になってました。後に、選挙本番に入り、掲示板に50名ほどの候補者のポスターが一斉に貼られましたが…こんな彼のようなポスターは一枚もありませんでした。おそらく一番目を引いたことでしょう。キャッチフレーズと共に。


●最初から、最後まで独りだけの戦い!!
  彼は本当に、努力、努力の日々でした。おそらく、「みんなを見返してやるーーー!!」の強い、強い念がそうさせたのでしょう。彼は、「街頭演説」は出来ませんでした。そんなこと承知の上です。ただ、交通頻繁な交差点や、路上に立たせるだけにしました。『手を振って、頭を下げるだけでいい!!』と指示しました。予算の関係で、全市全戸ビラ配布は出来ませんでしたが…彼の票が出そうだとボクが判断するエリアには、その戦略をちりばめた「選挙らしくない、オシャレなビラ」を全戸配布しました。ただ、その配布方法がいつもと違います。彼は、それを、コツコツ戸別訪問を兼ねて、自分の足と手で配布したのです。選挙本番までの、のべ3回のビラをです。こんなことをやらせた候補者は彼が、最初で最後でした。本番までの約一年半は、そんなことを毎日コツコツ続ける日々でした。
  新しい、ビラが出来るたびに、制作スタジオに呼びだし、元気付けました。『●●君!ようやってるぞ!!偉いぞ!ホンマやぞ!!神様は見てるからな!!』本当に、涙ぐましい努力の日々だったと思います。


●わあああっーーー!! 
  そして、長い、事前運動が終わり、本番の選挙戦に入りました。本人の顔は、長い野外活動で真っ黒け!あとは、審判を待つのみです。選挙戦の数日なんてよく書いてるようにセレモニーです。こんな日々で勝敗は決まりません。告示までに結果は出てます。しかし、前にも書いたように、こういう選挙区では「有権者動向調査」は意味ありません。だから、もう投票日の結果待ちです。
  そして…結果が出ました。見事に「上位当選!」を果たしたのです。
  本人のその時の、大喜びで飛び上がる様子が、翌日の新聞に出ました。彼がいた事務所の秘書さん達や、代議士さんの、驚いて腰抜かす情景が手に取るようにボクに見えました。誰も、彼が当選など…あり得ないと思っていたはず…たとえ、ボクがついてても…彼だけには、その当選なんてあり得る筈がないと思っていたはず…だったと思います。
  彼は、この当選までの一年半に、全生命を賭けたのだと思います。
  そして、当選によって…燃え尽きたことでしょう。


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