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●1990年晩秋
  1990年11月30日ボクは、公職選挙法違反で懲役1年10ヶ月、執行猶予5年、公民権停止5年の厳しい判決を受けました。恩師石井はじめ代議士派の組織的電話作戦の運動員買収によるものでした。まあ、普通の感覚なら「買収」と聞けばなんか「悪質な犯罪」と思われる方が多々だと思います。しかし、過去の経験で鑑みると、当時の総選挙で「電話作戦」をやってなかった陣営は皆無だと思います。なぜなら、選挙中の電話による「投票依頼のお願い」は公選法違反ではなかったからです。これは今でもそうです違反ではありません。ただし、その電話を架ける作業をする人に「バイト料金」を支払うと、「公選法違反の運動員買収」になるのです。これも今でもその通りです。人数の限り、金額の限り、日数の限りはありません。各陣営がそれぞれの電話作戦の作業者に「報酬」を払って無かったか?と言えば…まあ、おそらくどの陣営もなんらかの形を変えてでも、払っていたと思います。よくいう「無償ボランテイア」というのは、なかなか集まるものではありません。
  そんなことで、当時は「中選挙区」の時代でしたから、有権者宅に架ける電話の件数も、我が陣営ではおよそ30万世帯。1日に1台の電話機で架けられる件数が平均200件。選挙期間中に有権者宅に3回は電話を入れる…ということをやってましたから、必要電話台数が約400台、つまり毎日400人平均の電話部隊が必要だったということです。当時の電話は「仮設電話」というもので、指定場所にNTTに期間限定の電話機を設置してもらいます。中選挙区時代ですし、神戸市全区が選挙区の時ですから、各区の交通の便のイイ場所に「隠れ事務所」を一定期間お借りして電話作戦を実施するのです。そして、その1990年の2月の総選挙での石井陣営の各区電話作戦部隊のうち、3つの区で摘発され、そこで電話作業をしたアルバイトのご婦人方、その作戦部隊のそれぞれの区の責任者が、選挙で当選を決めた翌日からドンドンと警察から呼び出しを受け、逮捕されていったのです。結論から言うと、当時の石井はじめ代議士は現職の国務大臣国土庁長官でした。狙われていたのでしょう(苦笑)大臣の事務所を摘発し、うまくいけば大臣も連座制で当選無効などの結果も得られることになるからだったと思います。なんせ、検察では、「政治家の逮捕や摘発」は大物であればあるほど、それを担当した検事さんは後々3階級特進とかの「大手柄」となるのですから…

●判決の下ったその日に…
  結局、ボクがその電話作戦遂行の最高責任者として「出頭」し、すべてボクの責任で各担当者に指示し実行したこととして…その判決で結審したのです。もちろん、他の秘書数人もボクより軽いですが執行猶予付きの判決を受けました。そして、その裁判を終えて自宅で「ホーット一息」しているその日の夕刻のことでした。ある人から電話が入って来ました。
その人は、兵庫県界隈の政界では知る人ぞ知る大物フィクサーです。彼の父親は高度成長経済の立役者池田勇人首相の側近で「影の金庫番」だった人。そして、彼もその父親と似た生き方を継承し、地元政界のみならず、中央政界にも大きく顔の利く大物でした。元々、彼は我が石井はじめ代議士との繋がりだった人なのですが、石井はじめ選対の実権を掌握して活躍しているボクのことをよく噂で聞いていたようでした。そして、彼とボクの最初の接点が1989年秋の神戸市長選挙でした。その時の市長選挙は宮岡助役と笹山助役との「助役対決」としてドロドロの選挙となった記憶があります。誰もが、当時は宮岡助役がそれまで長く続いた宮崎市長の「後継者」だと思っていました。しかし、選挙直前になって、宮崎市長は笹山助役を擁立、笹山助役が本命となり当選された選挙です。
当時、ボクは現職の石井代議士秘書で、そういう状況を外野席で「オモロイナー!!」と見ていたのです。ところがです、そんな時に、ある神戸市会議員からボクに電話が入りました。宮岡派の大物市会議員でした。「ヤマグチ君!ちょっと顔貸してくれんかー!すぐに、元町駅前のプラザホテルに来てくれー!頼むわー!」でした。すぐにホテルに向かって、指定の部屋を訪ねると、そこには、その市会議員と、もうひとりの大物市会議員、そしてその大物フィクサーが「デン!」と座っていたのです。
結局彼らのお願いはこうでした。「選挙まであと数日やが、市長選挙を仕切るもんがおらんのや!君さえ承諾してくれたら、俺たちが石井さんにお願いするから、君がこの宮岡の選挙を仕切ってくれんか!?」ボクはもちろん、快諾しました。そして、彼らが石井はじめさんの「了承」を取り、短期決戦の市長選挙を仕切ったのでした。フィクサーはこの時のボクの「選挙参謀としての仕切方」を垣間見て、惚れたようでした。選挙は負けたのですが(苦笑)そんな結果は抜きでした。
その大物フィクサーから、判決が下ったその日の電話はこうでした。「オウッ!ヤマちゃん!おつかれさんやった!よう頑張ったな!ついてはやな、今時間あるやろ!すぐにウチの家に来てくれへんかー!話もあるんやー!どうや!?」ヒトツ返事でボクはそのフィクサーの大豪邸の自宅へ向かいました。石井代議士と同伴以外でその人の家に呼ばれるのは初めてのことでした。広い応接間に通されました。そこにはすでに「お客様」が待っていました。フィクサーがボクに引き合わせようと呼んだのでした。
「お客様」はT市の元県議会議員のS氏でした。我が石井はじめさんと同じ甲南大学出身ということでボクもお名前とお顔は知っていました。S氏は県議会から衆議院選挙に出て落選し、その時は「浪人中」だったのでした。

●「5:3:2:1と言われてるんですわー!!」
  先ずフィクサーが口を開きました。「あんなーヤマちゃん!Sさん、知ってるやろ!?今な、今年の夏頃から運動スタートして、来年2月投票のT市の市長選挙で出はんねん!県議辞めて、総選挙で落選して、もうこれが最後の選挙やねん!ここで負けたら政治生命はもう無いねん!そんでやなーおまえさん、もう裁判終わったことやし、今からこのSさんの参謀を引き受けてくれんかー!なあ!頼むわ!もう暇やろー!」ボクにしては、まあ…すでにこの年の5月に選挙コンサルの会社を設立し、裁判が終われば、それで正式に「独立」するつもりだったので、「渡りに船」の話だったのですが…(苦笑)裁判で執行猶予付きとはいえ、有罪判決です。また、なんらかの公職選挙法違反の事犯でも起きれば、今度は「再犯」となり執行猶予はつきません。ですから、簡単に「OK」の返事は出来ません。ボクに「責任」が及ばぬような「体制の保証」と「構築」が必要でした。その「事情と条件」をのんで頂けるならということにしました。結果、その「条件」を100%、S氏にもフイクサーにものんでいただき、「影の参謀」を承諾、直ちにSさんから選挙情勢のヒアリングを始めました。Sさん曰わく「今年の夏から運動をスタートしてますけど、今、現職市長以外に、ある現職県議、ある現職市議、そして私と4人も立候補予定してまして、混戦になってるんです。
ほんでね、こっちも政治生命がかかってるから必死でやってるんですが、今の時点で某放送局の世論調査によると、5:3:2:1と言われてまして…5が現職市長、3が現職県議、2が現職市議、ほんで1が私なんやそうですわー(苦笑)」なるほど…ヒアリングでこれまでの数ヶ月の運動を聞いていると、お話にならないくらいの「生温い」運動だったのです。そしてたたみかけるように、フィクサーが続けて「な!なっ!ヤマちゃん!出番やろ!なっ!やったって!頼むわ!なんとか勝たしたって!なんでも言うとおりさせるさかいに!なっ!」ボクは、内心「エライこっちゃなーでも、今、こんなに悪い情勢なんやから、まあ落ちてもボクだけの責任にはならんなー(苦笑)」と、ある意味気楽でした。ということで、ボクがそこから色々「条件」を出しました。「その通りにさせてもらえれば、ビリではなくなるでしょう!勝ち負けの保証は出来ませんが、イイ戦いにはして見せます!とにかく言うとおりにしてください!」

●激しい運動の日々…そして有権者動向調査
 S氏の恵まれてたところは資金潤沢だったことです。当方の作成するメニューでお金がかかることも(もちろん合法的な運動です)出来たことです。どんなことをやったかはノウハウなので書けません(笑)とにかく、一般有権者が客観的に見ても、「えらい、S陣営チカラが入って来たなあー勢いが出てきたなあー!!」と感じたはずです。
そして、ボクのアサイメントの運動が2ヶ月続いた翌年1991年の1月末、告示日の一週間前に、我がIMAの有権者動向調査を実施いたしました。ボク自身も結果が気になったのは言うまでもありません。有効回答数約500。T市の中心部を流れる大きな川の東岸、西岸、そして市の北部の旧農村地区の三つのエリアに分けての調査でした。先ず、知名度は現職市長が87.5% 我が陣営S候補が85.2%、現職県議が55.7%、現職市議が40.1%でした。そして、問題の支持率ですが、三つに分けたエリア全地区で我が陣営S候補が一番。現職市長を大きく引き離していたのです。ボク自身も「エエッ!?こんなに強いのかい?あの5:3:2:1がかい?」と頭をかしげる快進撃だったというほかありません。ボクが推し進めた事前運動は確かにマスプロセールの大規模宣伝だったとは言え…こんなにも効果があるのか…と大いに自信を深めたのも事実でした。そして、調査結果を持って、候補者と会いました。丁度、明日が告示日という日の早朝8時。T市の中心部にある名門Tホテルのロビーです。この日の夜に、このホテルで我がS候補の「総決起大会」が開催されることになっていました。候補者に「調査結果」を見せると…候補者の「第一声」は「エエッ!???コレほんまでっかー!???」今思えば誠に「失礼極まりない(苦笑)」第一声です(笑)ボクは、トウトウと調査内容と、その正確さ、精度の高さを説明し、納得させ、こう続けました。「とにかく、このままでゆるめず選挙戦突入すればほぼ勝利は間違いないでしょう!今日の決起大会は自信を持って、臨んでください!」

●そして見事に当選!
開票結果はS氏が27,708票で市長初当選!現職市長は24,849票で落選!
現職県議は11,322票、現職市議は5,699票という結果でした。
この後、S氏は3期連続当選を果たした後、政界を引退されました。


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